野中 剛について


ランドスケープ代表、野中 剛(のなか ごう)。
多摩芸術学園 映画学科にて映画と芸術を学ぶ。在学中に監督した16mm映画「管制塔へ・・・」が、ぴあフィルムフェスティバルに入選。1985年、同校卒業。

1985年以降、フリーの助監督として、TVドラマ、劇場用映画の現場で下積。主に、篠田正浩組の助監督諸先輩から指導を受け、三村晴彦監督作品、井上昭監督作品など、松竹系の現場で研鑽を積む。同時に、ヘラルド・エース(現・アスミック・エース)にて、映画興行における集客、動員業務に携わり、映画興行について学ぶ。
その後、仕事の拠点を電通映画社(電通プロックス、電通テック)やNHKエンタープライズに移し、小松製作所やエーザイなどの企業PR映画やCM。IMAXや特殊大型映像を用いた、横浜博、長崎オランダ村などの博覧会映像に携わる。

1996年、映像制作プロダクション、有限会社 ランドスケープを設立(社名の由来は、ポーランドの国民的歌手 エヴァ・デマルチクの命名による)。
日東電工、三菱商事などの企業PR映画、「手にことばを」(富士通)、「日本手話を話そう」(ビクター エンター テインメント)の教育映像など、さまざまなジャンルの映像制作の仕事を受注。
また同時に、商業ベースには乗りにくい 自社企画のドキュメンタリー映画作品を精力的に監督し始める。

その1つが、障がい者と芸術、人と人の共生に関するもの。
イギリスの障がい者と健常者で統合されたダンスシアターカンパニー、“AMICI(アミキ)”(芸術監督:ヴォルフガング・シュタンゲ、顧問:ベン・キングスレー)とは、約17年間 公式映像記録者を務め、“AMICI(アミキ)”の活動に関するドキュメンタリー映画、公演記録映像を監督する。リュックブリック(トリノ シネマ ハンディキャップ映画祭 第3位)、「ジャーニー トゥー ケーテ」など、海外で高い評価を得ている。
人と人の共生に関する作品としては、9.11の2ヶ月後、内戦の終わらないスリランカを取材したドキュメンタリー「蝶たちの踊るところ」(Document1 国際ヒューマンライツ ドキュメンタリー映画祭オープニング上映)がある。

1999年からは、メンタル・ヘルスの分野へと、作品題材を広げて行く。
メンタルヘルス岡本財団と提携し、「常盤台神経科」(パルヌ国際ドキュメンタリー人類学映画祭招待作品)など、「森田療法ビデオ全集」のシリーズ作を制作。心を病んだ方々への取材、撮影が困難とされる神経科クリニックに関するドキュメンタリーの連作を監督する。2009年には、京都の精神病院に関するドキュメンタリー「ヒポクラテスと蓮の花」も監督している。

2007年からは、市井の人々の暮らしと民俗芸能。進歩発展との引き換えに、日本人が失っていくものを題材にした作品の製作を始める。
秋田の山奥の集落生きる人々と 民俗芸能を追ったドキュメンタリー「長靴をはいた獅子たち」(文部科学省選定)など、多作ではないが、製作に3年以上の時間を費やし、じっくりと腰を据えるスタイルで、根気強く製作・監督を続けている。

また野中は、舞台制作の仕事も積極的に行い、「水鶏」(1992 /ノルウェー国立劇場)、エヴァ・デマルチク東京公演(1993/シアター・コクーン)、全国聴覚障害者大会(1997 / 日本ろう者連盟 / 皇太子ご夫妻ご出席)、などの制作業務も行っている。中でも、「王女イヴォナ」(1998 / シアターX / 湯浅芳子賞受賞)では、ポーランドの演出家ヤン・ペシェクに師事し、演出助手を約3年間務めた。また、歌舞伎演出家・郡司正勝氏の遺作舞台「歩く」(1998 / シアターX)の制作も行い、海外公演等、約2年間、郡司氏から直接様々な教えを受けている。
エヴァ・デマルチク女史、ヤン・ペシェク氏、郡司正勝氏との仕事は、映像制作(監督)の仕事に大きな影響を与えている。



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