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>Top  > 作品  >森田療法 その本質と臨床の知

 



       気づき・気づかう神経症
        ~森田療法を深く理解したい方にとっての待望の大著~




 2014年3月。常盤台神経科(東京・板橋区)院長、藤田千尋医師が他界されました。91歳でした。
 藤田は、昭和40年に自宅敷地内に神経科医院 常盤台神経科を開院し、およそ50年にわたって、入院森田療法を実施した生涯臨床家でした。
 近年における森田療法は、入院施設の減少、患者さんの心性の変化など様々な状況の中で、外来森田療法が治療の主流となっています。そんな中で、自宅を開放して入院森田療法を実践し続けた藤田は、森田療法家の中でも一目置かれる存在です。また、優れた理論家としても知られています。
 藤田は、芭蕉の言葉“不易流行”を引用し、森田療法における、変えてはならない本質(不易)と、時代に合わせて変わっていくもの(流行)を、亡くなる直前まで模索し続けました。
 本書「森田療法 その本質と臨床の知」で藤田は、約60年の臨床経験を基に、時代の流れの中でも変わらない、森田療法の本質を様々な角度から浮き彫りにしていきます。
 簡易な入門書ではありませんが、森田療法を深く理解したい方にとって、待望の書籍と言えます。


 

本書の特徴1 気づき・気づかう心

 森田療法では、専門用語と日常語が混在して使われており、理解しやすい反面、受け取る側の個人的な判断や思い込みが入り込み、多義的になる傾向があります。
 本書で藤田は、神経症の病理を「気づき・気づかう」という平易な言葉で言い表し、多義的になりがちな森田療法を、一つの本質へと立ち返らせます。
 さらに本書で藤田は、古事記から近松門左衛門に至るまでの日本文学の中で、「気づき」「気づかう」という言葉がどのように使用され、どのようにその意味を変遷させていったかを考察します。その変遷の中に、日本人の近代自我発達の歴史を見出し、それを神経症の悩みと不安、そしてその治療法である森田療法へと繋げていきます。
 それは本書を 単なる森田療法紹介の書から、日本人論、日本文化論へと高める、大きな魅力となっています。




 本書の特徴2 森田療法を診察する

 藤田は診察の際に、患者さんの症状や苦しみの訴えだけを診るのでなく、患者さんの生きている「境遇」を診ることを強調しました。つまり病気だけでなく、人とその人生を診るということです。
 本書において藤田は、まるで森田療法を診察するかのように、森田療法の「境遇」、そのすべての因子を丁寧に検証していきます。
 ・森田正馬の生い立ちと家族(生育歴、森田家の心性、神経症体験など)
 ・当時の社会状況(明治維新、帝国憲法、教育勅語、西洋化、近代化など)
 ・時代の精神性(明治維新を境に変化した、自己実現を求める若者達の意識など)
 ・日本人の心性(自然風土からの影響、気づき・気づかう心性など)
 ・東洋思想の影響(儒教、朱子学、仏教、禅、神道など)
 ・当時の精神医学動向(ヒポクラテスの時代から明治までの精神医学の変遷など) 
 ・森田正馬が森田療法を確立するまでの経緯と病理・治療論
 個人的な判断や思い込みを排し、広範囲な領域に及ぶ これら「境遇」の集積と検証によって、藤田は森田療法の真実と本質を浮き彫りにしていきます。
 そんな本書は、森田療法の“不易流行”を明らかにする大著と言えます。



                                    




    はじめに      
    序章 森田療法とは何か

  第一部 森田正馬、人とその業績
     1章 森田の人間形成について
         1)人となりと血縁
         2)家族観 -恒心とその受容-
         3)精神医学志向への内面的布石

  
第二部 森田療法の萌芽
     2章 森田をめぐる精神医学の動向
         1)精神医学への森田の寄与
         2)森田神経質と森田療法の確立に関するまでの森田の動向
     3章 森田の精神療法観

  
第三部 「気づき・気づかう」心性
     4章 「気づかう」と「ヒポコンドリー」
     5章 森田の心身同一論

  第四部 ヒポコンドリーをめぐって
     6章 神経質素質者の特徴
         1)ヒポコンドリー(心気症)の歴史
         2)異常人格についての森田の構想
         3)過敏性体質説に関する森田の見解
         4)森田療法における「ヒポコンドリ-性基調説」
         5)神経質素質者の精神的傾向
         6)「ヒポコンドリー性基調」から「生の欲望」へ
         7)「ヒポコンドリー性基調」の両義性

  第五部 森田神経質の精神病理について
     7章 森田神経質の発症条件
     8章 森田神経質の特徴と症候論
         1)神経質への森田の構想
         2)森田神経質 発症の仕組み

  第六部 森田療法の治療論
     9章 治療法発展の発端
         1)森田療法と日本思想
         2)森田療法の治療システムにおける基本の構成要素
     10章 森田療法の治療形態
         1)入院療法(原法)
         2)各治療期における患者の体験
         3)日常生活における作業の意味と価値
         4)日記による指導とその目的
         5)森田療法における治療的環境条件
         6)森田療法の治療目標
     11章 「不問」という「間」について
         1)治療者の役割について
         2)「不問」と「境遇の選択」に生じる患者の抵抗
     12章 常盤台神経科

  第七部 森田療法の応用
     13章 集団療法における森田療法的アプローチ
     14章 連句活用による森田療法的アプロ-チ
     15章 外来森田療法
         1)外来森田療法の実際と標準化の可能性について
         2)説得的コミュニケーション
         3)外来森田療法の症例
         4)日本森田療法学会による外来森田療法ガイドライン

   第八部 森田療法における治癒について
     16章 森田療法における治癒とは
         1)治癒について
         2)治癒と養生
         3)「あるがまま」の意味について

   第九部 森田療法の未来
     17章 森田療法の本質と特徴
     おわりに

     関連事項 解説
     関連年表
     藤田千尋 略歴



 
                                      


 



1923年  長崎県生。
1948年  東京慈恵会医科大学卒業。
1950年  同大学精神医学教室入局。
1960年  同教室講師。
1961年  精神科診療所「常盤台神経科」を開設。
     以来、約50年、入院森田療法を実施する。
1983年  森田療法学会理事。
1986年  英書「Morita Therapy」
(医学書院)を出版。
     森田療法の理論的・治療的実践の国際的理解に貢献し、
     本書を出版した医学書院は、その出版を評価され、国際出版文化大賞を受賞。
1989年  第七回森田療法学会会長。
1992年  第三回森田正馬賞受賞。
     長年の「治療的生活共同体」と呼ぶべき、入院森田療法や森田療法に関する
     研究活動が評価される。
1999年  ビデオ「森田療法ビデオ全集1 生きる」(製作:メンタルヘルス岡本記念財団 /
     監督:野中剛)で、森田療法を解説。
2001年  ビデオ「森田療法ビデオ全集2 常盤台神経科」
      (製作:メンタルヘルス岡本記念財団 / 監督:野中 剛)で、
    
 入院森田療法を解説。
2013年  「常盤台神経科」を閉院。
2014年 3月6日 永眠。




 



批評記事


NPO法人 生活の発見会 発行
「生活の発見」
2015年10月号

クリックすると拡大します。









 

 







書名:森田療法 その本質と臨床の知
著者:          藤田千尋
ISBN:    978-4-9907953-0-6

編纂・脚注・関連事項解説・年表:         野中 剛
表紙・装丁・ブックデザイン:         大野由里
印刷:    株式会社 ジャムス
発行者:         野中 剛
発行所: 有限会社 ランドスケープ

製作協力:         岡本常男
(メンタルヘルス岡本記念財団)
日本精神療法振興会


造本:   B5判 / 上製本 / 312頁
定価:8,100円(本体:7,500円+税金)



 

 

 
 

  藤田千尋先生が他界された。
 十数年前、「森田療法ビデオ全集 第1、2巻」にご出演いただいた後は、新しい本の執筆を、亡くなる寸前までなさっていた。
 本の出版打ち合わせとして、私はこの10年、ほぼ毎月 先生にお会いしていました。出版を待たずして旅立たれたことを、本当に悔しく思います。

 先生の功績として、まず最初に言及すべきことは、自宅敷地内に「常盤台神経科」を開院し、約50年、入院森田療法を実施したことでしょう。夫人も治療補助者として入院患者の生活を支え、「家庭的な雰囲気の中で行う鍛錬療法」という、おそらく森田正馬の方法に一番近似した方法で、入院森田療法を行っていました。先生は、そんな臨床の場にしっかりと足を下した生涯臨床家でした。
 
 本書「森田療法 その本質と臨床の知」は、治療者だけでなく、一般の読者にも向けて執筆された書籍で、先生の60年に及ぶ、森田療法の臨床実践と研究の集大成といえます。
 私は、かねてから編纂と出版の大役を先生と奥様のから仰せつかっていましたが、先生のお亡くなりになった後、腰の高さまで積み上げられた原稿を見て、ただただ呆然とし、その重責に身のすくむ思いでした。
 編纂作業は、藤田千尋という人間、その底に流れる“知”の源泉を、一つ一つひも解き理解する旅のようでした。誠に得難い経験をさせていただきました。
 藤田千尋という“知”は、直感型の“知”ではなく、一つ一つの学術的事実を集積して積みみ上げていく、構築型の“知”です。時にその学問的難解さに悶絶することもありましたが、自分を鼓舞し、できるだけ一般の読者にも理解できるように編纂したつもりです。そして、理解の補助になればと思い、巻末に「関連事項解説」を追加しました。

 B5判、横書きという書籍の形態は、先生が強く望まれていた理想の書籍形態です。そのため、決して安価とは言えない定価設定となっています。しかし、価格に劣らない読み応えのある内容になっていると自負しております。
 森田正馬は、精神医学という科学の枠組みの中で、森田療法がきちんと評価されることを生涯望んでいました。藤田先生もその願いを継いでおり、今回の書籍も、一般の方々の理解だけでなく、学術的にも価値のある書籍にすることが目標でした。B5判、横書きという学術論文のような書籍形態には、そんな願いが込められているのでしょう。
 編纂者として、本書が森田療法を深く理解しようとする方にとって、いつの時代になっても寄って立つ場所となる書籍になればと願って止みません。
 
 最後に、藤田先生の森田療法の世界を、私の駄文でまとめましたので、以下に掲載させていただきます。
 本書は森田療法の簡易な入門書ではありませんので、まずは以下の文章を、森田療法の入門としてお読みいただけたら幸いです。これに学術的な深み、臨床家でなければ語れない知見、症例などを加え、森田療法の本質、その深淵に迫ったものが、藤田千尋著「森田療法 その本質と臨床の知」となります。





1)気づき



 誰にでもある気づき
 例えば、ドアの閉まりそうな電車に走って乗る。ホッとして ふと気がつくと、心臓がドキドキしている。そこで、私は心臓が悪いんじゃないかと思い、心配する。また、仕事が忙しくて生活が不規則になる。ふと気がつくと、頭が痛い、胃が痛い。そこで、私は何か病気ではないかと思い、心配する。
 あるいは、会議でたくさんの人の前で、自分の意見を発表する。好きな人の前で、何かを話そうとする。ふと気がつくと、声が震えている、上がってしまう、うまく喋れない。そこで、私は性格が弱い、度胸がないと思い、心配する。
 また例えば、ある日汚れたものを素手で触った。ふと気がつくと、その日から、何度手を洗っても洗えた気がしない。それが心配になってしまう。
 そもそも、神経症というのは、生活の節目と思われる境遇に当たって、ふと自分の心身に起きた不都合に気づいて、それが自分の生活にとって不利な条件のように過敏な受け止め方をして、ますます気に病んでしまう状態を指します。


 3つの神経症
 精神科医、森田正馬(1874~1938)は、そんな神経症を以下の3つのタイプに分けました。

 1. 普通神経症
  身体的な変化、不都合に気づき、それを病的なもののように感じ、過剰に心配してそれにとらわれてしまう。主な症状として、不眠、頭痛、頭重、しびれ感、脱力感、耳鳴り、胃腸障害、めまい、尿意頻数、性的障害、記憶力減退、集中力困難、取り越し苦労 などです。

 2. 不安神経症(発作性神経症)
  ある条件のもとで、ふとした心身の異常さに気づき、それを病的なものとして受け止めて不安発作を起こす。初めの発作の状況を予期して、また起こるのではないかという不安から、発作や観念を繰り返すようになる。心悸亢進、めまい、卒倒感、ふるえ、胸部圧迫感、呼吸困難感 などが主な症状です。最近よく言われる“パニック障害”は、ここに入ります。

 3. 強迫神経症
  心に起きた不快感覚に気づき、それを自分にとってあってはならないものと受け止め、打ち消そうとしてもできない状態に葛藤し、とらわれてしまう。対人恐怖、赤面恐怖、視線恐怖、疾病恐怖、不完全恐怖、不潔恐怖、高所恐怖、閉所恐怖、縁起恐怖、雑念恐怖、などがあります


 気づいた後の受け止め方で神経症になる
 気づくということは、人間誰にでもあることです。電車に走り乗れば心臓が高鳴るし、生活が不規則になれば、自律神経の機能がバランスを崩し、頭が痛くなったり、胃が痛んだりします。また、自分にとって気を使うような人の前では、誰でも上がりますし、なかなか流暢に話ができません。清潔な状態でいたいと強く願えば、きちんと手が洗えただろうかと気になるのも当然です。
 しかし神経症になる人は、そんな自分の置かれた状況を無視して、心身の違和感、不都合だけを取り上げて、自分はおかしい、これは病気だ、これを治さなければと受け止めてしまいます。そう思えば思うほど、意識はそんな思いに集中していきますから、もともと症状でないものも症状になってしまうわけです。
 例えば、気温が上がる。すると発汗する。それは、気温が上がったから発汗するのであって、発汗することだけを取り上げると、私は発汗傾向が強い、異常だとなってしまうわけです。神経症になる人は、気温が上がったから発汗するとは受け止めないわけです。
 神経症は気づいたことへの、受け止め方の偏りのために起きてくると言ってもいいでしょう。
 森田正馬は、気づいた内容に対して、それが自分にとって不都合だと受け止め、過剰に心配してしまう気分・状態・素質を、“ヒポコンドリー性基調”と命名しました。
 また、なんとかしてそれを治そう、取り除こう、そして自分本来の生活を送りたい、そんな思いが心の大半を占めている状態を“神経質”(後世の専門家達は“森田神経質”)と呼びました。

 

2)気づかう


 取り除こうと心を使うこと=気づかう
 多くの人は、ドクター・ショッピングをしたり、精神を鍛えて症状にうち勝とうとしたり、症状を取り除くことにエネルギーを使ってしまいます。それが気づかうということです。そして、この症状さえなければ生活はよくなる、という誤った認識で生活を送ります。しかし、そうしていると、当然ながらますます注意が症状に向いてしまい、症状はますます固着してしまいます。そして、生活がおろそかになっていきます。すると症状を理由に、自分のやらねばならぬこと、やるべきことから逃げ、他人にも迷惑をかけ、自分で自分を追い込んでいきます。気づかえば気づかうほど、悪循環を起こし、症状だけではない二重の苦しみを背負うことになってしまいます。
 つまり神経症の場合、症状にこだわっている、症状を取り除きたい、早く治したい、そう気づかっていると、自分の望んでいることと、あべこべの結果になってしまうのです。




3)心の性質


 
神経症になる人の性格特徴
 神経症になる人には、共通した性格特徴が見られます。一言で言えば、色々なことに気づき、気づかいやすい(神経質な)性格ということです。神経質とは・・・・、

 1. 内向的、内省的傾向
 取り越し苦労、心配性、小心、引っ込み思案、人の思惑を気にする、気にしやすい、気分本位、気分の良し悪しを気にする。

 2. 完全主義、理想主義的傾向
 オール・オア・ナッシング的な考え方、几帳面、潔癖性。
 
 3. 主観的、自己中心的
 独断的、自分勝手、自己顕示(見栄っ張り)・自尊心が強く自分が傷つくことを恐れる、おしつけがましい、利己的。

 4. 観念的傾向
 理屈っぽい、言葉にこだわる、理由を詮索する、観念的、難しい言葉を振り回す。


 気分で解決しようとして、行動が伴わない
 ヒポコンドリー性基調の気分にあると、自分の至らない部分を嘆く反面、大胆でありたい、強くありたいなど実現できないことを望んでしまいます。
 自分は駄目だ。それで引き下がれば、それで苦しさはあまりないはずですが、それにうち勝とうとするから苦しみがより強く湧いてくるのです。
 現実的に自分を受け止める人は、行動で弱さを克服しようとします。でも神経症になる人は、現実的な行動をとらないで、気分的にそれを解決しようとします。
 例えば、何か劣等感を持ったとします。劣等感をプラスの面として受け止めると、自分は至らないから努力をしようと思います。現実的な実行、努力をコツコツします。でも、神経症になる人は、現実の実行を惜しんで、気分で劣等感がなくなればいいと思うだけなのです。だから劣等感は消えることなく、終わりのない苦しみが続くのです。
 例えばお腹がすいた。だから空腹感を満たそうと食べる。劣等感も同じです。劣っているのなら行動すればいいのです。


 ヒポコンドリー性基調の裏には、よりよく生きたいと思う心がある
 ヒポコンドリー性基調。換言するとそれは、自分を守ろうとする心です。なぜそんな気分になるのでしょう? それは、いつも自分の満足する状態でありたい、よい状態でありたい、人より優れたい、優秀でありたいと思う心がその裏側にあるからです。だから自分の理想に反するものに気づくと、心はそれに集中し、自分を守ろうとし、症状を異物化してしまうのです。
 森田正馬の大きな着眼は、ヒポコンドリー性基調の裏には、それに反発しようとする強い欲望が隠されていると見抜いたことです。
 例えば、机を思いっきり叩いてみます。すると痛いです。その痛さが症状です。強く叩くから痛いのです。そのことをよりよく生きると考えてみてください。よりよく生きようとするから痛いのです。苦しいのです。でも、それはよりよく生きようとすることから起きることですから、自分のこととして受け止めなければなりません。それが嫌だったら、よりよく生きるのを捨てなければなりません。ヒポコンドリー性基調の裏に欲望があると言うのはそういうことなのです。
 森田療法で言う多くの“症状”は、よりよく生きようとする反映です。ですから、逃げないで直面していく。そして、できた事実を認め、それを踏み台にして次に進む。それなしでは変革も向上もないのです。

 





4)森田療法



 薬を使わない治療
 森田療法は原則として薬を使いません。自分が症状と思っているものが、どういうものかを考えることから始まります。下痢とか熱であれば、それを取り去ることが治療の目的になります。しかし神経症の場合、症状でないものを症状として受け止め、それを取り除くことに悪戦苦闘しているのです。ですから森田療法は、症状を取り除こうとする心の姿勢を改め、症状に耐えさせることを目的とします。なぜなら、それは誰にでもある気づき、感覚、よりよく生きようとすることから起こってくることなのですから、取り除くこと自体が不可能なのです。ですから、薬を使って治すこととは意味が違うのです。


 森田療法の実際
 現代の森田療法には、大きく分けて二種類あります。入院療法と外来療法です。

 【入院療法】
 
 第一期 絶対臥褥期
 隔離された静かな個室で、約1週間一人でただひたすらベッドの上に横になります(臥褥)。その間、食事、洗面、トイレ以外は離床を許されません。面会、談話、ラジオ、喫煙、読書などの気休めも一切認められません。初めは治療所に来たという安堵感がありますが、次第に苦痛、不安感が強くなり、やがてそれに代わって退屈感が生じてきます。
 自分の症状、生き方のことなどに思いをめぐらせ、耐えるのが苦しくなってきます。今まで症状を取り除くことばかりを気づかって、生活が停滞したり、停止してしまった自分が、何でもいいからやりたい、誰とでもいいから話したいという思いに駆られてきます。
 つまり臥褥は、症状を取り除こうとする心の裏に隠れていた自分の健康な欲求を目覚めさせるのです。
 例えば静かな田舎に行きます。静かだな、いいな、と思う。でも、次第にいろんな刺激が欲しくなってきます。飽きてきます。それは健康な証拠です。臥褥も同じです。臥褥という体験で起きる刺激飢餓状態。それが健康な欲求を引き出すのです。

 第二期 軽作業期
 臥褥中に抱いた健康な欲求。何でもいいからやりたい、誰とでもいいから話したいという思い。一気にそれを解き放してしまうと、それはいろんな方向に拡散してしまい、すぐに消えてなくなってしまいます。ですから、軽い作業から始めていきます。
 例えば胃炎の治療の時、食欲が出ても一気に食べると胃をまた壊してしまいます。ですから、消化のよいものから食べていきます。それと同じです。
 作業というのは、掃除、洗濯、草取りなどの軽い家庭作業のことです。ですが、その際医師は、あれをしなさい、これをしなさい、と指示はしません。自分で自分の作業を見つけ出すのです。
 すると、初めは何をやっていいのか分らないと困ってしまいます。でもそれが健康であるというサインなのです。何とかしなければならないから困るのです。困るということを認めて、自分で作業を見つけ、行動します。
 作業というものは、規則正しい生活のためだけではありません。困って、行動して、その成功感の中に、自分を見つけていくのです。だからこそ作業に意味があるのです。
 また この期間、一日の行動を日記に書き、それを医師に提出します。医師は患者の心身の状態を知り、生活に関する具体的なアドバイスを行います。

 第三期 重作業期
 治療環境に慣れ、自発性が高まってくるに従い、徐々に、食事作り、木工、耕作、園芸などの重い作業や責任ある仕事に着手していきます。
 ペンキ塗りや小鳥小屋、本箱の製作など、仕事内容は臨機応変に選ばれます。グループで取り組むことも多く、チーム・ワークも要求されます。日記の記述は相変わらず続けられます。

 第四期 複雑な実際生活期
 実生活に即した生活が主になります。外出、交友、催し物の見学などです。したがって、学生の場合は学校へ、社会人の場合は職場へと、実社会の中へゆっくりと参加していきます。治療の場からそこへと通うのです。時にはパート、アルバイトや求職活動も行います。
 治療所内でのミーティングの司会や共同作業のリーダー役を求められたり、先輩として後輩の面倒をみるといった役割に直面することもあります。入院前の生活や入院してからのことなど、体験記をまとめて皆の前で発表することも求められたりします。そして、退院を自己決定をします。


 【外来療法】
 一週間に1度くらい通院をします。自分の生きている生活を背景に医師と話し合い、医師は、今まで症状を理由に逃げていた現実の生活に、初めは少しづつでも、向かい合うようアドバイスをします。そして、次の診察の時に、実際何ができたかを話し合います(治療の場)。症状に捉らわれてできない場合、症状は症状として傍に置いといて、自分の望む生活をどれだけできるか? それを繰り返し検討します。そして検討した内容を、自分の生活に戻り再び実行に移していきます(生活の場)。


 自然に従順で、境遇に服従すること
 つまり森田療法は、症状にこだわっている自分の弱さを鍛錬し、生きること、生活を背景に、本来の自分を取り戻そうとするものです。同時にそれは、自分の持っている健康な欲求、自然治癒能力を発揮させる、引き出すことを意味します。
 症状のために生活が行き詰まってしまった。でもその境遇をそのまま受け止めて、生活本来の姿勢を作り直す。自然に従順で境遇に服従すること。
 神経症に苦しむ人は自分の境遇の不遇を嘆きます。でも現実から出発するしかないのです。できないことをしようとしても、手段がないのです。できることから手をつけていって、自らを変えていく。森田療法は、そこに立ち戻らせようとします。当然、そこまで行くのには相当の苦しみが伴います。しかし何か成し遂げると、“これでいいんだ”、“これしかないんだ”、と身体で感じることが起きてきます。その身体で感じる感覚が、治療の目指すところなのです。

 

5)症状は消えないけれど


 “治る”とは
 「森田療法を受けても、なくそうとしていた症状はなくならないんです」
 森田療法を受けた人から、よくそんな言葉を耳にします。神経症が突然治ると言うことはまずありません。
 “治る”というプロセスには、いろいろな段階があります。症状がなくなる事が、即、治ることと多くの人は思いがちですが、症状がありながらも、必要なことをやれているということが、治癒への第一歩です。ここまでくれば、“臨床的治癒”と言ってよいのです。
 入院療法の場合、この時点で退院可能の段階と考えます


 理解ではなく体得
 しかし、頭で“症状は症状ではない。それは取り除けない。症状はそのままに日常を送る、必要なことをやる”と理解しても、行動に移すのはなかなか難しいものです。症状を持ったままやり遂げた後の、言いしれぬ爽快感はイメージできても、恐怖感が先に立って行動することを妨げてしまいがちです。
 森田療法では、その時点では森田療法を理解したとは言いません。実際に症状を持ちながら、辛いながらも自分のやりたいこと、やるべきことを実行できて、初めて理解したと言うのです。つまり体得ということです。
 例えば、自動車を運転したいと思う。自動車の構造、運転方法を机上で理解しても、その日から自動車を運転することはできません。やはり実際に自動車に乗り、練習をして初めて運転できるようになるものです。それが体得ということなのです。


 自分は何を求めているのか?
 苦しくても行動をすると、徐々に苦しみはやわらいでくるものです。そして、何年も経つと、最後には「なぜあんなことで苦しんでいたんだろう」とさえ思えるようになります。それは、自分が本来やりたいと思っていたことができるようになったからです。
 つまり自分が何を求め、どこで満足するのか? 自動車の構造を理解したいだけなら、机上の勉強だけで済むはずです。しかし、もし運転することを求めているのなら、苦しくても実際に自動車に乗り、運転の練習をするしかないのです。それ以外に道はないのです。
 森田療法も同じです。症状はそのままに行動することが嫌なら、そこで止めればいいのです。そこで自分の欲求が満たされれば、それでいいのです。でも、自分の求めていることがその先にあるのなら、やるしかないのです。苦しいかも知れないけど、やるしかないのです。なぜなら、自分の健康な心がそれを求めているのですから。

 

6)第二の気づき


 生きるということを背景に、症状を見る
 気づくということは、人間が生きる上でとっても大事なことです。気づきがなければ発見もなければ、創造もありません。神経質な人は、いろいろなことに気づきやすい素質の持ち主です。それは悪いことではありません。人より気がつくということは、むしろいいことなのです。
 しかし、気づいた内容を生活に不利な条件と受け止めた場合、心はそれを排除しようと流れていき、神経症への道をたどります。
 森田療法は、自分の納得できないものを取り除いてしまうという療法でない限り、そんな心の受け止め方、心の姿勢を変えていくことを促していきます。
 ですから、まず最初に気づいた時の受け止め方、これがあるからダメなんだという受け止め方が、自分にとって誤りだったということに疑問を持たばければなりません。気づかなければなりません。
 そして、自分本来のあるがままの行動を通して「不安があってもいいんだ。いや、不安があってもやるしかないんだ。なぜなら、自分の求めているのは、自分を向上発展させたいんだから。こうでしかないんだ」という第二の気づきが生まれてくるのです。
 それは自分の生活、生き方全体を通してみなければ、なかなか気づかないことです。症状だけを取りだして考えると、症状が物になってしまいます。
 私たちがどうにかしようとしている対象は、物ではなく、生きることそのものですから。生きていることを背景に、気にしていること、その受け止め方を見直して行かなければならないのです。


 自分を活かすということ
 生きること、生活することには調和が必要です。それが健康というものです。ですから、症状を取り去って調和させるのではなく。気づかいながら同時にやるべきことをやっていく。そうして初めて調和がとれるのです。
 気づくこと、気づかうことは悪いことではないのです。ヒポコンドリー性基調の裏には、生の欲望があります。それに気づいて、発揮させて上げれば、調和が生まれるのです。やりたいことに力を注げるのです。症状を無くすのではなく、自分の長所を活かしてあげるのです。現実の行動を通して自分を発揮させるのです。
 そして、症状を持ったままでも、やりたいことがなんとかできている、そんな調和の取れた自分に気づいたとき、「ああ、取り去ることはないんだ」そう実感するのです。
 気にする自分を否定するのではなく、気にするという長所を育ててあげるのです。生産的な自分を育てるのです。

 こんな例え話があります。
 昔々、あるお百姓さんが畑仕事をしていると、目の前の木に美しい鳥がとまりました。お百姓さんは、一目見てその鳥を欲しくなりました。しかし、鳥は捕まえようとするとすぐに逃げてしまいます。いろいろ手を尽くして捕まえようとするけど、やっぱり逃げてしまいます。気づいていない素振りで仕事をして、ふいを狙って鳥を捕まえようとしても、鳥はパッと逃げてしまいます。
 ふと気がつくと、もう夕方になりそうな空になっていました。このままでは今日の仕事が終わりません。お百姓さんは、仕方がないから仕事に専念します。
 そして、ようやく今日一日の仕事を終えて、汗を拭こうと胸元に手を入れると、そこには、捕まえようと悪戦苦闘していた鳥が入っていました。
 で、それは何という鳥かというと、“さとり”という鳥だったそうです。

 つまり、どうやったら症状がよくなるかと気づかうと、よくならない。毎日毎日、コツコツと生活するしかない。そしてやったことを素直に認めて、また自分の生活に活かしていくべきではないのか? そうした時に初めて、自分の求めていたもの、あるいは、それ以上のものが得られるのではないでしょうか。
 
 
 




森田正馬
もりた しょうま


(1874〜1938)

日本の精神科医

 1874年高知県生まれ。東京帝国大学医学部を卒業。1938年、東京慈恵会医科大学名誉教授。自宅を開放して神経症患者の家庭療法的治療を行う。森田療法を確立させたのは、この自宅を開放した診療所による実践経験が大きい。
 もともと自身も神経症体験を青年期に持っており、その経験が、療法や患者への接し方に大きく反映している。
 当時の精神医学界は、心の病気の原因を脳や神経などの身体によるもの(身体因)とすることが世界的な動向であった。しかし森田はこれを、心によるもの(心因)とし、世界の様々な療法を参考にしながら、森田療法を創始した。
 当時の森田療法は、鍛錬療法、不問療法などと呼ばれ、医学会の中で異端視されていた。しかし、森田は自身の論文に何度も修正を加えながら、約20年かけて森田療法を確立させた。
 1938年、肺炎のため64歳で死去。


森田療法
 
 森田正馬によって1919年に創始された日本独自の精神療法。「神経質(神経症)に対する特殊療法」と森田自身が呼んだように、主に神経症の治療のために用いられる精神療法。最近では、治療対象をうつ病など、その範囲を広める試みも行われています。
 森田療法では神経症による不安や死の恐怖を、人間としての自然な感情であり、よりよく生きようとする欲望(生の欲望)の反映だと解釈します。そして治療目標を、症状の除去ではなく、不安や葛藤のある、あるがままの自分を受容し、不安や葛藤を持ちながらでも、現実生活ができることとします。
 そのために入院療法では、家庭的空間の中で「臥褥」「作業」を行います。
 本来、森田療法は入院療法から始まりましたが、時代の流れの中で入院施設が減少していき、現在では外来療法が主となっています。外来療法で患者さんは、治療者のアドバイスを実生活で実践し、その結果を外来面接の場に持ち帰り治療者と吟味し、アドバイスを受け、再び実生活の場での実践を試みていきます。



神経症

 心理的な要因と関連して起こる心身の機能障害。心身に対する健康で当たり前な感情や感覚を、病的なものとして受け止め、必要以上に強く不安、恐怖する。一般にはノイローゼとも呼ばれる。森田の時代には、「心気症」、「神経衰弱」などと呼ばれていたが、森田は「神経質」と呼び、試行錯誤の末、以下の3つに大別した?

 1) 固有(普通)神経質: 不眠症、頭痛・頭重、めまい、耳鳴り、感覚異常、疲労亢進、
              脱力感、能率減退、胃腸神経症、書痙、記憶不良 など。
 2)発作性神経症:心悸亢進発作、不安発作、呼吸困難発作 など。
 3)強迫観念症: 対人(赤面・視線・正視・表情 等)恐怖、不潔恐怖、確認恐怖、
         縁起恐怖、読書恐怖、雑念恐怖、不完全恐怖、罪悪恐怖、吃音恐怖 など。
<br>  神経症にまつわる疾病概念は、歴史の中で今でも変遷しており、現在の国際医学概念(DSM、ICD)では、神経症という診断名は採用されていない。不安障害、広場恐怖症、パニック障害、社会恐怖症、身体表現性障害、強迫性障害などという診断名になっている。